健常者の困難に目を向けること

先ほどのエントリーには被差別意識についても含まれていましたが、それに関連することを思いついたので短いですが書いていこうと思います。

私は双極性障害を患って障害者手帳を持ってから、自分の人生しか見られていませんでした。また、「健常者のまま生きられていたらこんな思いなんてしなかっただろうに」と考えてしまっていました。

この考え方はとても閉鎖的です。なぜなら、健常者にも健常者だからこその辛さや苦しみがあるということに全く目を向けていないからです。

私は健常者枠の新卒で入社した企業をたったの1ヶ月で退職して精神障害者保健福祉手帳を取得したので、健常者が味わう企業勤めの大変さを全く知りません。姉が入社したばかりの頃に仕事のことで泣いていましたが、私にはそこに思いを遣ることも出来ません。

健常者は障害者の生活とは違う大変さを持つということに目を向けることで、閉鎖的で卑屈になりがちな視野を広げられるのではないでしょうか。きっと「絶対的に可哀相な人」なんて居なくて、皆人それぞれ苦しみながら生きているんだと今では思えるようになりました。

双極性障害を患ったことや障害者となったことについて、昔はある種の選民意識を見出してそこに自己陶酔的思想を持ち出して自分を保とうとしていました。しかしそんなものは薄っぺらい自慰的行為にすぎなかったと思います。

健常者も沢山の困難に遭遇しながら人生を歩んでいて、私の場合はたまたま双極性障害が大きな困難として立ち現れた。それだけなのではないでしょうか。そしてその障害をコントロール出来るようにして上手く付き合っていけたら、生きやすくなるんだと思います。